CHITO'S TENNIS MEMORANDAM

小学4年生(2022年現在)チトのジュニアテニスの備忘録的ブログです。

「負けず嫌い?」

チトがテニスを始めたころはセンスを全く感じなかった。短く持ったラケットを力いっぱい振るものの、赤いボールにまともに当たることは少なく、全然ラリーが続かない。チトより学年が一つ下のヒメちゃんはセンス抜群で、コーチとのラリーが続くので、ラリーの練習だけでもチトより3~4倍の練習時間を確保でき、さらにメキメキ上達していく。その頃は、「まぁ、週1回の習い事だから別にすぐにできなくてもいいか。」と思っていた。

 

少し潮目が変わったのが小学2年生も終わろうという3月末。スクール内のレッドボールの大会で優勝することができた。センス抜群のヒメちゃんはすでに上のクラスに上がっており、チト以上に経験がある子がいなかったことが大きな要因の一つだが、「優勝」という結果にチトも満足げだった。大会後にコーチから「一つ上のクラスに上がってみない?」と言われたときのチトの嬉しそうな顔は今もよく覚えている。コーチから言われてラケットは23インチから25インチになった。今までは普通のシューズだったけど、テニスシューズも購入。

 

そこから週2回の練習となり、ボールの色が赤から緑にかわり、練習やスクールの大会では年上のお兄様お姉様方にボコられる始末。でも、練習量が倍になって目に見えて「テニスらしい」動きに変わっていった。

 

3年生の夏休みが明けるころ、コロナで友達とも遊べず暇をと力を持て余したチトは「毎日コースにしたい」と言い出した。そのクラスの上位のお兄様方が毎日クラスで腕を磨いていることを知っていた。そういえば、前の試合で3つも上のお兄様に圧倒された後、少し涙ぐんでいたのを思い出した。私は「学年も経験年数もはるかに上の相手に勝てるはずもない」と高を括っていたのだが、チトは勝とうと思って戦っていたんだ。チトは運動神経が良いわけでもなく、運動会の徒競走では3位でも嬉しそうにしていたので、いわゆる「負けず嫌い」ではないと思っていた。でもどうやらやる気スイッチが押されて、「負けず嫌い」が発現していたみたい。

 

毎日コースは月謝を考慮しても週3日以上スクールに行けばとりあえず元が取れることを確認し、緊急の家族会議を開いて家族で週3日の送り迎えがコンスタントに可能であることを確認、姉のウタも協力してくれると嬉しい発言を頂き、毎日コースへの変更をコーチに連絡。毎日コースの日々が始まった。最初は週3回だったけど、間もなくコンスタントに週5回以上通うように。チト母もウタもチトの送迎に右往左往。

 

この時はまだチトも私も気が付いていなかったけど、ジュニア競技テニスの世界の入口に少しずつ近づいてた。