CHITO'S TENNIS MEMORANDAM

小学4年生(2022年現在)チトのジュニアテニスの備忘録的ブログです。

「アウト!」

ボールが地面についてから一瞬間があり、I君は大きい声とともに手を挙げた。完全なイモジャッジ。スクール内のグリーンボール大会での出来事。優勝するつもりだったチトは準決勝で0-3で負けた。

 

チトはI君に挨拶をした後、私には目もくれず、一目散に妻がいる車の中へ入っていった。

 

I君はチトと同い年。始めたのも同時期だが、チトの方が先にテニスにハマって回数を増やしたため、ゲーム形式の練習でもほとんど負けたことはなく、実力差は歴然としていた。

 

スクールに到着しドローを見たときに思った。ルールは3ゲーム選手ノーアド。出場者は8人でチトは第一シード。そんな時に「一回戦の相手はドタキャンした。」との情報が。この時から嫌な予感がしてたんだよな。誰でも一試合目は調子が出ない。相手が二試合目の場合、シード選手が負けるのは時々目にする。さらに試合前のチトには緊張感がなかった。このカテゴリーでは二回連続で準優勝しており、優勝していた上級生はみんな出ていなかった。完全に油断していた。

 

試合後、私がどのようにチトと話をしようか悩んでいるとコーチが声をかけてくれた。

「お父さんは負けるわけないと思っていただろうけど、この結果については私の予想の範疇でしたよ。I君は技術的にはまだテニスになっていないけど、面に当てる能力は結構高い。チトの強打もうまく面にあたると返ってきてしまう。でもね、お父さん。強打を打てることはすごい才能なんです。特に試合に出始めた子はミスを恐れて強打せず、何とかコートに入れることを選択します。実際、U-12くらいまではミスが少なく繋ぐのが上手な子のほうが試合に勝つけど、そういう選手はU-14以上になると途端に勝てなくなる。ずっと強打してきた子は強打がコートに納まるようになるから。だから「チトのテニスは間違ってない。」って言ってあげてください。今すぐ勝つ必要はない。たくさん試合に出て、たくさん負けてください。」

 

車に行ってチトと話した。チトはまだ泣いていた。

私:「どうだった?」

チト:「I君はズルをした。最後のポイントは絶対入っていたんだ。」

私:「そうだね。全ポイントのうち最後の1ポイントはそうだったとお父さんも思う。残りのポイントについてはチトの伸びしろだと思うよ。」

その後、コーチが言っていたことをチトに伝えた。チトがどこまで理解できたかは分からない。

 

そして3位決定戦では圧勝した。姉のウタに。

「初勝利」

現在地を知ってから3ヶ月、チトは毎週5回くらいスクールに通い、実力アップに取り組んでいた。一時期はバックストロークがひどく、球出しではしっかり打てるが、ラリーや試合では降りぬくことができない、いわゆるイップス状態に陥っていたが、どうやら回復したよう。草トーには積極的に参加しており、月に2~3回程度は県内の試合にエントリーし、結果に一喜一憂。そして夏休みに入り、チトの2回目の県大会が。

 

平日開催のため、早いうちから職場に休暇取得宣言をしていたけど、試合直前で仕事上のトラブル発生!実は結構な社畜なんです、私。泣く泣く妻に同行をお願いし、自分は職場へ。

 

仕事が終わって家に帰るも既にチトは寝ており、妻に試合結果を聞くと、「自分で言いたいから言わないでってチトに言われている」とのこと。

 

「お父さん、勝てたよ!」次の日の早朝、そんな声とともに私を起こしに来たチト。詳しく聞くと予選は4人組のリーグ戦で、1勝2敗だったとのこと。

 

私:「うまくできたこととうまく行かなかったことを教えて?」

チト:「うまく行ったことはフォアかな。チャンスボールをしっかり打てた。うまく行かなかったのはサーブ。もっとスピードを上げないとダメだ。」

私:「そっか。コーチにも相談してごらん。また一緒に練習しよう。」

 

その後、妻に話を聞くと負けた試合でも良いところもあり、本人も手ごたえを感じているみたいとのこと。

初勝利おめでとう。チト!

「現在地」

「公式戦に出てみませんか?4月に県協会主催の大会があるんです。」

チトがスクール内のグリーンボールの試合で優勝とはいかなくても、そこそこの成績が残せるようになってきた3年生の3月、コーチからそう言われた。スクールの上位の子たちはそういう者にも出ていて、ヒメちゃんも最近公式戦デビューしたらしい。都道府県のテニス協会に選手登録すると、その協会主催の大会にエントリーでき、さらに関東に登録するとポイントが付く大会にもエントリーできて・・・よくわからないけど、おそらく習い事テニスから一歩踏み出して、いろいろな大会に出ることになるということらしい。

 

私自身も知識がないので、まずは本人の意思確認。

チト:「出たい!」。

私:「出たいらしいです」

コーチ:「では協会のHPから登録してください。登録したら登録番号を教えてください。エントリーは他の子とまとめてやっておきますので。6ゲーム選手タイブレーク有になるので、覚えさせてくださいね。あと、ボールはイエローですから。」

 

その日以後、チトと私との自主練ではタイブレークでの試合形式練習が増えた。サーブはアドサイドから?6の倍数のゲームでコートチェンジ?覚えることがいっぱい。スクールの試合ではコーチたちが見ているので、ポイントを忘れてもフォローしてくれるが、公式戦では基本選手同士で確認しなければならないとのこと。色々覚えているうちにとうとう大会当日になった。

 

集合時間の1時間前に会場に行き、同じスクールの子たちとランニングをしたり、縄跳びをしたり、ボレーボレーをしたりしてアップを行う。スクール内の小学生で一番上手な6年生のY君のお父さんが「チト君、もう県大会に出るんですね。すごい!すこし前まではレッドボールだったのに。」と話しかけてきてくれました。我が子が褒められるとちょっとうれしい。

 

そして試合が始まった。すぐ終わった。6-0。何もできなかったのか?いやちょっとはラリーが続いたゲームもあった。チャンスボールを打ち込んでとれたポイントもあった。でもコテンパンにやられた。しかも相手の背格好はほぼ同じ。あとで相手のお母さんが話しかけてきてくれて同じ4年生であることも知った。スクール内ではヒメちゃん以外の同学年以下にはほとんど負けたことがなく、6年生にも勝ったこともあるので、チトも少しは自身があったのかもしれない。でも現実は厳しいことが分かった。

 

トーナメントで負けた子同士で練習マッチをしてもらい、そこでも勝てなかったチトはいつも通りスクールの友達とワチャワチャ遊んだ後、私とは必要以上の会話もなく帰りの車に乗り込んだ。

「大会どうだった?」と話しかけてみるとチトは「今日の大会で僕が一番下手だった。今は一番下手だ。上手くなりたい。」とつぶやくような小さな声だったけど、前向きな言葉が返ってきた。後ろ向きな言葉も覚悟していた私はホッと胸をなでおろした。チトは自分の現在地をしっかりと把握したみたいだった。

 

コーチ、まだタイブレークは必要なかったです。

「負けず嫌い?」

チトがテニスを始めたころはセンスを全く感じなかった。短く持ったラケットを力いっぱい振るものの、赤いボールにまともに当たることは少なく、全然ラリーが続かない。チトより学年が一つ下のヒメちゃんはセンス抜群で、コーチとのラリーが続くので、ラリーの練習だけでもチトより3~4倍の練習時間を確保でき、さらにメキメキ上達していく。その頃は、「まぁ、週1回の習い事だから別にすぐにできなくてもいいか。」と思っていた。

 

少し潮目が変わったのが小学2年生も終わろうという3月末。スクール内のレッドボールの大会で優勝することができた。センス抜群のヒメちゃんはすでに上のクラスに上がっており、チト以上に経験がある子がいなかったことが大きな要因の一つだが、「優勝」という結果にチトも満足げだった。大会後にコーチから「一つ上のクラスに上がってみない?」と言われたときのチトの嬉しそうな顔は今もよく覚えている。コーチから言われてラケットは23インチから25インチになった。今までは普通のシューズだったけど、テニスシューズも購入。

 

そこから週2回の練習となり、ボールの色が赤から緑にかわり、練習やスクールの大会では年上のお兄様お姉様方にボコられる始末。でも、練習量が倍になって目に見えて「テニスらしい」動きに変わっていった。

 

3年生の夏休みが明けるころ、コロナで友達とも遊べず暇をと力を持て余したチトは「毎日コースにしたい」と言い出した。そのクラスの上位のお兄様方が毎日クラスで腕を磨いていることを知っていた。そういえば、前の試合で3つも上のお兄様に圧倒された後、少し涙ぐんでいたのを思い出した。私は「学年も経験年数もはるかに上の相手に勝てるはずもない」と高を括っていたのだが、チトは勝とうと思って戦っていたんだ。チトは運動神経が良いわけでもなく、運動会の徒競走では3位でも嬉しそうにしていたので、いわゆる「負けず嫌い」ではないと思っていた。でもどうやらやる気スイッチが押されて、「負けず嫌い」が発現していたみたい。

 

毎日コースは月謝を考慮しても週3日以上スクールに行けばとりあえず元が取れることを確認し、緊急の家族会議を開いて家族で週3日の送り迎えがコンスタントに可能であることを確認、姉のウタも協力してくれると嬉しい発言を頂き、毎日コースへの変更をコーチに連絡。毎日コースの日々が始まった。最初は週3回だったけど、間もなくコンスタントに週5回以上通うように。チト母もウタもチトの送迎に右往左往。

 

この時はまだチトも私も気が付いていなかったけど、ジュニア競技テニスの世界の入口に少しずつ近づいてた。

「はじめに」

私の息子チトは小学4年生で硬式テニスをやっています。私は今まで別のスポーツの経験があり、そのスポーツのコーチやレフリーの資格を持っていたことがありますが、テニスに関してはほぼ素人です。そんなチトが今年から都道府県テニス協会に登録して、いわゆる「競技テニス」の世界に片足を突っ込みました。週5回ほどスクールに通い、月に2~3回はいわゆる「草トー」に出場して試合をするという生活。コロナの影響もありますが、「休日に家族そろってお出かけ」という機会は激減し、チトの二つ上の姉ウタにもいろいろ我慢してもらっているかも?(ウタは週2回の練習で試合には出ない、いわゆる習い事テニスです。)

 

ブログを書こうと思ったのは、自分と同じようにジュニアの競技テニスをしているお子さんがいる親御さんのブログを読んでみた影響です。

 

チトは小学1年生の5月からテニスを始めましたが、きっかけを全く覚えていません。本人も覚えていないそうですが、チト本人が「やりたい。」と言ったのは間違いありません。「ブログを書いていればそんなことも記録が残っていたかも。この先どこまでテニスを続けるかは分からないけど、あとで読み返したら備忘録としても面白いかも。」そんな安易な発想です。

 

最後にお願いです。今後、もしかしたらチトのことを知っている方がこのブログを読んで、チトが誰か?気が付くかもしれません。そんなときはどうか私やチトにそのことを告げず、温かい目で見守って頂ければと思います。